溶解
- pleiade5
- 6月18日
- 読了時間: 3分
エスエヌエスに脳みそと時間と自信を溶かす。
『羨ましいな』と思う心が情けない。
派生した妄想だけが、私を救いながら、そこでゆっくりと殺して行く。
自分はこうだから、と言い訳を探している、つまり、諦めるポイントを決めている。その瞬間にこの時間になんの意味もなくなってしまうのに -
ツァラトゥストラの話を思い出す。
塔と塔の間にある綱、綱渡り氏はそこに挑んでいる。
なんのためにそんな事を?
成功したところで何が待っている?
そんなニヒリズム(虚無主義)に浸かった人間が彼を冷笑する
道化師がやってくる。綱渡りに熟練した道化師がやってくる。
才能のないお前が?
なんのために?
恥ずかしくないのか?
馬鹿馬鹿しい、痛々しい
そう挑発をして、綱渡り中の彼を飛び越えて渡り切る。
ニーチェは『ツァラトゥストラ』の中で、「人間とは、動物と超人の間に架けられた一本の綱である」と書いた。つまり、私たちは生きている限り、誰もがその不安定な綱の上を歩まされている。
綱渡り氏は、心が弱かったのだ。
塔と塔の間にある綱、綱渡り氏はそこから落ちて死んだ。
ツァラトゥストラはそんな綱渡り氏を称えた
彼こそが、超人への道を歩んでいたと。
「お前は危機のなかに自己の天職を作った。それゆえに、わたしはお前をこの手で埋葬しよう」と、その遺体を背負って闇のなかへ消えた。
超人。
意味のない世界で意味を作りいきていく存在。
ニヒリズムを知りながらニヒリズムを抱えながらそれに抗う存在。
私たち人間が、目指すべき存在。
私はこの話を、初めて聞いた時に感じた感情を言葉にするほどの語彙表現を知らない。
ただ、直感的に、何だか「そうだな。」と思っただけ。
この話では、人間は3段階にわけられる。
ニヒリズムを抱えながら抗う綱渡り氏
ニヒリズムのままに生きる道化師
そもそもニヒリズムなどではなく、大衆がおかしいと思う方の反対に立つ
つまりニヒリズムをニヒリズムと認知しないままただ事象を見て笑っている大衆
画面の向こうで輝く誰かを羨み、自分の現在地に絶望する。そんな現代の片隅で、
私はただ、綱渡り氏のようでありたいとちょっとカッコをつけたい気持ちになっただけだ。
綱渡り、は虚無そのものだ。
私たちの人生の最終着地点は知っていて、そんな中で、必ず虚無が存在する。
本当はニヒリズムのままに生きた方がずっと生きやすく穏やかなのかもしれない。
虚無は悪いことではない。
ただ、心の中で何かを考えることがあって、何かを見つめることがあって、その何かを知りたいと思う、形にしたいと思う。
そう思うから、私はニヒリズムに抗いたい。
大袈裟なことを、大袈裟に語っているだけなのだ。
私は、別になにもいらない。
虚無になり続けるこの人生の中で、それでも挑戦し続けたい。
大それた事を成し遂げたい。そんなことは考えてない、ただ消える時間の中で、私はまだ諦めたくない。

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